ニッポン国よ、お前もか?!

中国産冷凍餃子からメタミドホスが検出された、あの事件があった時。
「その食品を口にする人は、どうせ他所の国の知らない人なんだから、どうでもいい」と思っているのだろうか。中国人のモラルってどんなんよ? オテントウサマに向かって恥じる気持ちはないんだろうか・・・と思ったもんです。

が、しかし、倫理に欠けるのは何も中国人に限る事ではなかった。偏見だった。すいません。
日本企業も同じだ。

工業用の事故米を、何と、食用として販売していた企業があるという、怖ろしいニュースに衝撃を受けた。
賞味期限切れの生ものを、再度パック積めし直し、賞味期限も改ざんして売っていたスーパーの存在に驚愕した。

利益が出ればそれでいいのか?
食品を扱う仕事に従事するものとしての矜持はないのか?
その製品は、人間の口に入り、その人の健康を左右するものであるという事を、どう認識しているのか?

事故米の転売は特に性質が悪い。
不正を行った企業から、“米”そのものとして直接小売に出されるのではない。
焼酎・日本酒・煎餅など他の食品会社に流通した上で人々の口へと入っていくのだ。そこに関わる企業の数は、どれ程に上るのか。
誠心誠意で酒造作業、製菓作業などにあたっていた人達を、いかに侮辱する事であるか。
目の前の利益に魅了されて、そんな明白なことすら見えなくなっていたというのだろうか。

件の三笠フーズには、百回近くに上る監査が行われていたというのに、それでも不正転売を摘発出来なかったという。一体どういう事なのだろうか。監査日程の擦り合わせ等、なぁなぁ体質そのものではないか。
トップである大臣に、ここ二年程の間に四人も不正な経費問題が浮上している農林水産省の、腐敗した体質をイメージさせるのには、充分なネタだなぁ。
(農林水産大臣になる以前の不正も合わせてだけど。でも、どうしてこう続くのか、不思議なポストだぁね。それにしても、太田大臣は、福田首相の辞任で助かったね)

私の父は、現役時代、某食品会社の試験室に勤めていた。試験室は云わば食の安全を司るセクションだ。
父が若い時分は、日本の技術と経済がどんどん上向いている時代。乱暴な言い方をすれば、現在の中国に似た時風であったかもしれない。企業が、利益だけにとらわれることなく高い志を保つのに、多少の気概が必要だった中、父は「うちの会社で作ったものは、自分の子供にも自信を持って食べさせられる」と、胸を張っていたそうだ。

『知らない誰かが食べるもの』ではなく、『自分自身や家族の口にも入るもの』として考える。食品に関わる人には、せめてその位のプライドは持って欲しい。

フライパンから炒めている野菜が飛び出してコンロ脇に落ちたのを、ダンナの皿に盛りつつ、そう呟く私でありました。
| 考える葦 | 10:54 | comments(0) | - | - | - |

我が家の顔はベィビィです(?)

年賀状など季節の挨拶はがきに、子供の写真を使う事。

に対して、否定的な人、結構多いみたいですね。
「よそのガキのツラを見ても、面白くも何ともない。自分には関係ないのに!」って思うのでしょうか?
押し付けがましく自己満足的な“幸せの構図”に辟易するのでしょうか?
まぁ、人それぞれ、暮らしの環境・条件は色々ですから、悪意なくともそのように感じる人がいるのも仕方ないです。

ちなみに私は、独身の時代から、家族写真入りハガキを受け取っても何の疑問も抱きませんでした。
友達からのハガキならば、「元気そうに育っていて、よかったね!!」と嬉しく感じるし。
職場の人からのハガキならば、情報源として重宝させてもらっていたし。

そう、季節の挨拶って、お互いの近況を知らせあってこそ意味のある事ですよね。
「家族が増えました」とか「子供がこんなに大きくなりました」とか「新居を建てました」などと報告を兼ねて送るのって、そもそもの意義を満たしていると思うのです。既存の印刷デザインに一言挨拶も無く送るよりも、何倍もいい。
まぁ、そう言いつつ私自身は、おきまりテンプレートデザインのハガキを送ったりもしていましたが(苦笑)
独り身の時は、そうそう毎年、報告すべき出来事もないのでね。

ところで、職場間での『子供写真入り年賀状』を特に嫌う人って、「職場での付き合いと、プライベートでの付き合いは、完全に分離させるべき」と考えるタイプの人でしょうか。
職場といえど、いや職場だからこそ、人と人の繋がりは大切だと思うのですが。
昨今の、企業が労働者をポイ捨てするようなやり方が蔓延しているのは、本当に嘆かわしい事ですが。
「企業には社員のライフ設計をしっかりサポートしてもらいたい。しかし企業内での人間関係は必要最低限に済ませたい」というのも、どうかと思います。会社の飲み会は毎回スルーとかね・・・。飲み会は飲み会で、それなりに意義があるかと。
・・・っと、脱線しました。

私はかつて就業していた時、「相手の子供についての会話」は、人間関係を潤滑にする為にフル活用させてもらってました。
例えば、他地区勤務で直接顔を合わせた事のない人や、業務的には密な連携が必要なのに対面する機会が少ない部署の人に、電話やメールで御願い事をしなくてはならなくなった時。
いきなり用件から切り出して「じゃ、御願いします」って言うよりも、「そう言えば、お子さんは今度小学生ですよね〜」なんて雑談を交えてから本題に入る方が、相手の対応が親密になり、結果仕事がやり易くなるんですよね。
下調べしているのがアリアリでしょうけれど、それでも心象悪くされる事は少ないです。
「ミエミエな手を」と舌打ちする人よりも、例えこちらの下心が見え透いていたとしても、そういう面に気を回したって事で、好意的に受け止めてくれる人の方が多い。
私は、上記のような、“直接対面の機会は少ないけれど、業務上の連携は必要”という仕事をする事が多かったので、相手のプライベート部分の情報というのは(特に冠婚葬祭については)、有り難く受け取っていました。
子供に関する話題をする時には、相手との新密度によって、「お子さんは」と言うより、ちゃんと「○○ちゃんは」と名前で呼ぶことが出来ると、あちらの対応もぐっと良くなる事が多かったです。お蔭で、ちょい無理めなお願い事をゴリ押し出来たことも、多々あります。(ゴリ押し出来たというか、私の気持ち的に、フランクに話しが出来て気負いが少なくなったというか)

その一方私は、よそ様のコの顔や名前・年齢などを暗記するのが苦手でして(苦笑)保険セールスレディとか絶対なれないね!
で、そんな際に、その年に受け取った年賀状をゴソゴソ取り出して、確認作業するんですよ。
毎年毎年、リアルタイムな情報が受け取れる、子供写真入り年賀状は、ある意味とっても有り難い(笑)

たまに、友達の子供の名前とかも、忘れちゃう事あるしね(ごめ・・・)
だから、ちゃんと毎年、年賀状で確認出来ちゃうのって、やっぱり助かると思うんです。

「幸せの見せびらかし」なんて卑屈な受け取り方をしないで、自分にとっての糧になるように活用すれば、いいんじゃないかなぁ。それがより良い人間関係を構築する手法ってモンじゃないでしょうか。

そんな訳で、私は、『挨拶ハガキに子供写真活用しちゃうゾ派』になります宣言(笑)
↑結局言いたいのは、ベィビィの写真使うよって事か〜い!!(突っ込み)
| 考える葦 | 13:22 | comments(0) | - | - | - |

ベストセラーの不思議

『秋の夜長が読書に最適』と言われますが、日中は外活動が辛い酷暑のこの時期も、部屋に篭もって読書するにはいい季節かもしれません。これだけ暑いと、外へ出ようという気持ちも萎えますね・・・。

で、何か新しい本を買おうかなぁと足を運んだ本屋の店頭には、ベストセラー本がずらりと平積みになっている訳ですが・・・。

この“ベストセラー本”というのにどうも食指が動かないという人は、意外と多いのではないでしょうか。私もそのクチです。
特に、自己啓発の部類の本は、内容をパラ読みしてみても、全くピンと来ない。
そして、ごく当たり前の事が当たり前に記してあるだけの、有り難くもないマナー本が、ぞくぞくと売れている不思議。

「何でこんな本が売れてるの?」と、疑問に思う事ありません?

そこで、ちょっと考えてみました。
例えば“10万部突破のベストセラー本”は、一体どの程度、世間を席巻しているのか(←シャレじゃない!)
現在の日本の人口をざっくり1億人とすると(実際は1億3千人位だけど)、1000人に一人が買えば、それでもう“10万部突破”する訳です。100万部売れてる本でも100人に一人。


ところで、ベストセラー本をベタ褒めする人って、過去のベストセラー本についても“私のバイブルです”なんて言っちゃったりしません? 思うに、『世間で売れている本』に飛びつくタイプの読書人が、存在するんだと思うんです。いや、勝手な仮定ですけれど。

たまに、「本を読みたいけれど、何を読んだらいいのか分からない」と言う人がいますが、こういう人って、とりあえず『今売れてる本ベスト10』みたいなのを参考にするんじゃないでしょうか。
何を以って感動するのかというのは人それぞれだから、本当に共感出来る本に出会う為には、とにかく山のように積まれた本を読み漁るしかないと思うんです。
その手間をショートカットして感動に出会いたい人が、『多くの人が感動したよ〜』というお墨付きが付いた本に飛びつくのかな。

そうだとすると、供給の立場で考えると、本を売る為には、“そ〜ゆ〜タイプの人”をターゲットに定めて出版すれば効率がいい訳で。本当の意味で万人に感動や共感を与える書籍ではなく、ある一種のタイプの人に的を定めた書籍であれば、より当たりの確率が上がりますよね。

顕著なのが自己啓発本。多分このテの本を買う人の本棚には、過去に話題を呼んだ数々の自己啓発本が並んでいることかと思います。「こうすれば幸せになれる!」とか「こうすれば彼氏が出来る!」とかね。
日本人の100人に一人が、このテの「自己啓発本大好きタイプ」だと仮定します。そのタイプの人の中で、更に10人に一人が購入すれば、“10万部突破のベストセラー”となりますね〜。
売れ筋の自己啓発本が、特定の性格の人に的を絞って書かれたもだとするならば、「共感できた!」「為になった!」という絶賛を浴びるのも納得です。だって元々、そのテの人の賞賛を浴びるのを目的として書かれているのだから。
と、これは、穿った見方ですけれどね。

誤解されると困るので書いておきますが、自己啓発本それ自体を否定する訳ではありません。私も人生の糧になった啓発本に巡りあった事も、何度かあります。
ただ、昨今売れている、読み口の柔らかい、しかも大見出しに目を通しただけで内容が察せられる“啓発本”に、ふよふよと寄ってしまうのは、どうかと思っているだけで(笑)
「この本の、この一部分には、感銘を受けた」というのなら私も多々経験ありますが、その本に書いてあること丸々「バイブルです!」と妄信してしまう人に、危うさを感じるんですよね。

話がちょっとズレました。自己啓発本好きな人批判みたくなった(汗)
先の仮定でいうと、100人の内99人の人は、「売れ筋に囚われることなく、自分が読みたい本を探す人」だとします。そのタイプの人が好む本というのは、きっと多分本当に十人十色。ある一種の本に共感が集中するという事は、滅多にないでしょう。
つまり、ベストセラーの本というのは、『元々お墨付きの本に飛びつき易いタイプの人』が好む類のものに、自然なる訳で・・・。

100人の内99人は、「何でこんな本が売れているの?」と心中思っているにチガイナイ!


勝手な仮定でスッキリしたところで(笑)、売れ筋に拘らず自分好みの本を選ぼうっと!
・・・しかし本って結構高いなぁ・・・。
図書館に行きたいなぁ・・・。
(ベィビィ連れで図書館は無理だな)
| 考える葦 | 13:13 | comments(2) | - | - | - |

新聞を読む

実家に来てからこっち、毎日、新聞を読むようになりました。

新聞を読むのは結構好きだったのですが、結婚してからは新聞取っていませんでした。今日日、情報収集はネットで事足りると思ったもので。
確かに、情報の速さでは、新聞はネットに適いません。でも、ここ数ヶ月、久しぶりに新聞を読む生活をしてみて感じたのですが、新聞で読む記事の方が、内容が頭に染み込みます。
これは、私が今までの人生の大半を紙印刷文化の中で過ごしてきたせいだと思いますが、ネット上の文字を追うのって、どうも上滑りになってしまうんです。
次々と目に留まる情報に、矢継ぎ早に目を通さねばと、急いてしまうんでしょうかね。

事件・事故の記事はまぁ、新聞もネットも大差ないとしても、社説やコラムなんかは、やっぱり紙の上で読むほうがしっくりするなぁと感じています。

実家が取っている新聞は、朝日新聞と日経新聞。

朝日新聞の政治思想や歴史見解については、まぁ色々と異論を感じるワタクシですが、それでも読み物として面白い。
特に『天声人語』欄は、用事が多い日でも短時間で目を通せるし、手軽な割に内容が濃くて、毎日楽しみだったりします。

『天声人語』は、朝日新聞を購読していない人でも、名前を聞いた事はあるでしょう。最近の話題や事件を扱ったコラム欄で、毎日一面に掲載されています。
限られた文字数の中で、“人を惹き込む書き出し”と“明確に押し出す主観”そして“締めのイイ言葉”の見事な構成が成されている記事が多く、読み終えた後に記事の内容について反芻してしまう位に、脳に残ります。
内容については反論を感じる時もありますが、それでも、もしもこの執筆者と対面で会話したら、論旨の上手さに返す言葉なんて無いでしょうね。いや、一般の主婦なんて、端から相手になりませんけれど(笑)
様々な問題について広い見識を持ち、それを伝達できる語彙とアイディアを持たないと、こういうコラムって書けないよなぁと、惚れ惚れします。
私が学生だった頃は、大学受験の試験問題に、このコラム記事が多用されているという事で、書籍版は受験生必携だったのですが、現在はドウなのでしょう?
ちなみに、この『天声人語』は、WEB上でも、新聞と同じものが読めるようです。
こちら『天声人語』
でも、やっぱり紙面で読んだ方が、沁みるわ(笑)

天声人語に限らず、社説を読んでいても、「最近の私って、ほんと、軽い文章しか読んでなかったなぁ」と実感します。

ウェブ上でも事件や社会情勢を扱ったコラムは読めますが、天声人語の執筆者のレベルの記事を見つけるのは、ナカナカ困難です。個人のブログともなると、一見、時事を扱っている硬質な記事があるようで、「コラムというより感想文だなぁ」というのが大半ですし。(勿論それはそれで、“一般の人々の声”を知るには、有用ですけれどね)
また、例え「これは!」と思うような記事をUPしているサイトを見つけても、毎日継続的に読み続けるかというと、そうではなかったり(←これは自分のせいなんだけど)

連日の暑さで、日中は外で活動するのが辛い時期。
ここは一つ、ちょっとキョーヨーを高める本でも読んでみようかと思う際から、ベィビィの泣き声に呼ばれる日々(笑)
そんな中、5分で読める新聞の記事は、ナカナカに有り難い。
昨今、ネットの情報に圧倒されて劣勢な新聞ですが、多忙な生活の中では、逆に新聞も結構イイんじゃないかと、見直してみたり。


蛇足ですが。
このブログ、当初は、「一般女性の目線から時事を述べる」的な、程よく硬派な記事も織り交ぜていきたいと思っていたのですが、最近はすっかり、ふにゃふにゃ柔らかいベィビィ日記と化していますね(笑)
仕方ない、出産・育児は、人生最大のイベントの一つだもん☆
| 考える葦 | 14:11 | comments(2) | - | - | - |

源氏の君は理想の君か

昔から実家の本棚に置いてある『源氏物語・谷崎潤一郎訳版』、読んでみたいと思いつつ手が出ないでいたのですが、里帰り出産のこの機会に挑戦してみました。
“現代語訳”ではあるものの、第一版が刊行されたのは戦前。現在使われている“現代語”には程遠く、読み始めは難航しました。が、慣れてくると、かえってその読み難さが面白くなってくるから不思議です(笑)

妊娠中に大方読み進めていたのですが、出産後はベィビィのお世話の為に頓挫しておりました。
それを、最近ベィビィが一人遊びをしてくれるようになったところで、一気に読み終えました。

光源氏というと、“恋多き男”“プレイボーイ”という言葉が頭に浮かぶと思いますが、ヤツのプレイボーイ振りは、そんじょそこらの男には、おいそれと真似出来ません。

ズラリと揃った愛人たちには、絢爛豪華な御殿に囲った上で、季節折々その女性のイメージに合わせた衣服や調度を個々に贈ってあげるし(しかも、お歌を添えて)
ちょっと遊んだだけの女でも、その女が暮らしの方便に困っていれば、しっかり面倒みてやるし。
出家した女の為に、衣服やら用具やらを細々手配してやるし。
別れた女や、思いを遂げずに終わった女でも、何らかの消息を聞けば、こまめに手紙を送るし(勿論、お歌を添えて・笑)

ここまで出来る男が、現実世界で一体どれくらい居るというのだ(笑)


ところで、現代日本が一夫多妻制だったら・・・という仮定の話をすると、「うほ〜いvそれイイ!!」とテンション上げる男性は多いのですが、本当に一夫多妻制になったら、男女の人口比率が大きく変わらない限り、イイ想いをするのは一部の勝ち組男性だけで、多くの男ドモは“一妻”さえも得る事が出来なくなるんですよね。
『多くの女性が群がってきて誰を選んでいいのか悩んでいる』というモテ男以外には、あまり有り難くない制度だと思うんですが、それ分かってないのかな(笑)
私だって、光源氏とまではいかなくても、甲斐性のあるモテ男の妻の座の末席に座れるのなら、それもイイと思ってしまうYO!
(ダンナに甲斐性が無いとかそういうことでは・・・もごもご・笑)

勿論、鶏口牛後と考える女性も居るだろうけれど、現在以上に勝ち組負け組みにクッキリ分かれる事は明白ですよね。一夫多妻制というのは、全ての男がハーレム持てる世界じゃないんだよ。
とか、そういう現実的な事を言うと、男性には嫌われるのですが(笑) ハーレムは男の夢だそうですから。


まぁ結婚制度は置いておいて・・・。
あちこちにタネ撒き散らすのは、男の『本能』だから仕方ないとかいう言い分も、しばしば聞きますが、その『本能』って実はとってもオソマツだなぁと思うのです。

自分の子孫を残すという『本能』に従ってタネを撒き散らしているんだというのなら、その“努力”が実った時こそ最高に喜ばしい瞬間だと思うのです。
つまり、相手の女性から「あなたの子供が出来たの」って言われた時ね。
それが不倫相手だろうが、何となくヤっちゃった相手だろうが、逆らい難い自然の本能に支配されてイタしたというのなら、それが実った時にも同じように、逆らい難い自然の本能に支配されて、「コングラッチュレーション!やったゼ俺!!」って思うもんじゃない?その言い分が本当なのだとしたら。

それなにに何故、即座に「え〜困るよ、堕ろしてくんない?」と言える男が、少なからずいるのでしょうか。
タネ撒く時には逆らえんでも、実った時には逆らえるのか?その『本能』って(笑)

妊娠中は、同じく妊娠している女性の体験談を、ネット等でよく閲覧していたのですが、そういう腹立たしい話もしばしば聞く訳で、その度に、上記のように考えていたワタクシでありました。
そういう事態を招いた要因は女性の方にもある訳だから、過度に肩入れする気もありませんけれどね、念のため。

源氏の君にも、時々は「ヤベッ!やっちまった!!」と思った契りもあったように見えますが、それでもヤツは責任からは逃げなかったわけで、そういう意味でもやっぱり、女性から見た“理想の君”なのかもしれませんね。
| 考える葦 | 13:21 | comments(0) | - | - | - |

羊水って腐るの?(苦笑)

歌手の倖田來未さんが、ラジオで、「35歳を過ぎた妊婦の羊水は腐っている」という旨の発言をしたらしいですね。
この発言に対しての批判が相次ぎ、彼女自身のアルバムの宣伝活動を休止する事になったり、彼女がイメージガールを務める化粧品メーカーがサイトを休止させたりと、影響が出ているそうです。

OVER35歳アンド現在妊娠中の身としては、この発言に対して「何とも思わなかった」と言えばウソになりますが、世の中ちょっと過剰反応し過ぎじゃないかなぁ・・・と感じます。

実を言うと、医学的に羊水って腐るもんなのかどうか、その正否の程は、私は知りません。妊娠してから作られる羊水が、妊婦年齢によって腐ったり腐らなかったりするものなのかなぁ。
まぁそれは兎も角、若い妊婦さんと比べると、卵子自体や子宮の能力が衰えているのは、悲しいかな事実ですよね・・・。

彼女の発言は、賢くない言葉選びだなぁっと苦笑させられてしまうシロモノですが、言いたい事の趣旨は何となく分かります。
私だって、もしもタイムマシンか何かに乗って過去の自分と対面出来るのなら、「子供産むつもりなら35歳までに産んだほうがいいよ!!」と、説教たれるデショウ。

例え彼女が自身の発言に対して謝罪したからと言って、“高齢での出産は、若い妊婦と比べるとリスクが高い”という事実が、消えてなくなる訳でもないのです。
それに、高齢出産を控える身としては辛いですが、彼女と同じような考えを持っている人というのは確実に世の中に存在するし(彼女よりずっと酷い事を考えている人だっている)、それらの人を片端からなぎ倒していくワケにもいかないのが現実です。

そんな世間の目がある事ぐらい分かっているし、こちとら、その程度の中傷を受けるくらいは覚悟の上で孕んでるゼって感じです(笑)

彼女の発言の対象者となる高齢妊婦として、ここは一つ、「MYベビちゃんは、確かに多少古びた子宮から産まれてきますが、それでも、他人様を傷付ける発言を気軽するような心無いコには、育ちませんよ☆」っと豪語する位が、スマートなんじゃないでしょうか(笑)


話は少し逸れますが・・・私は、20代前半の頃に、無茶なダイエットをした事があります。
リンゴしか食べないリンゴダイエットをしてみたり、国内では認可されていない成分のダイエットサプリを、海外から個人輸入して服用したり。
あの頃は、一年ほどの間、生理が止まりっぱなしになってましたね〜。これが原因で不妊になってしまう可能性もあったんだと、今思うとゾッとします。が、当時は、『例えオバサンになった時に健康でも、今この時に美しくないなら意味がないっ』なぁんて、訳の分からん事を思っていたもんです。

20代の頃って、自分が30代になった時の事なんて、あまり想像していなかったんですよね〜。
20代が人生の全て!!って感じで・・・。30過ぎのオバサン達って生きてて楽しいのかしら・・・と、残酷な事を思っていたもんです(汗)
30代も充分楽しいし、きっと40代でも楽しいでしょうのにね。
口に出して言った事はなかったけれど、そんな考え方が外に漏れ出していたかもしれないし、それによって誰かを傷付けていた可能性も、無いとは言えないですね・・・。

生きとし生けるもの全て、一秒一秒常に老いに向っているのが摂理ですが、そのどの地点であっても、その地点なりに楽しいし、幸せを求める気持ちも薄れないモンです。
それを他人の立場に置き換えて、ちゃんと想像できるような、そんな子に育てたいですね、我が子は。
| 考える葦 | 21:24 | comments(2) | - | - | - |

も一つ、不思議話

先日のブログを読んだ妹が、「何か悩みでもあるん?」っと電話を掛けてきました(笑)
いやいやいや・・・。

元々、散歩中や料理中あるいは就寝前などの、脳ミソが暇になっている状態の時に、あーゆー生産性のない自己問答をするのが好きなんです。他にも色々と、何度も繰り返して問答している件があって、ブログでも、もっと書いていきたいなぁと思ってはいるのですが、意図するところを他者に伝達できるレベルの文章に書き起こすことが出来ないでいるんです。前回の文章も、私の意図の50%も伝えられてないんですけれどね(苦笑)


しかしまぁ、モノの弾みで、もう一つ、"私が暇な時に考える問答ネタ”を披露しちゃいます。意図するところが伝わるかどうか、怪しいですが・・・。


随分前ですが、夢をみるしくみについて心理学観点からの興味があり、その手の本を多数読み漁った事があります。夢って、将来の希望という意味のではなくて、夜寝てるときにみる方です。
昔の事なので、具体的な本のタイトルは覚えていませんが、専門書ではなくて、ユングやフロイトなんかの論について一般人にも理解し易く書き下した類のものだと思います。

その頃に、何れかの本で『脳は、五感で体験した事(実際に起きた事)と、夢でみた事を、区別する事が出来ない』という記述を読みました。出典の本を覚えていないので、その真偽の程は定かではないのですが、それを読んだ当時の私が深く納得させられる理由が述べられていて、私の中ではそれが“正しい説”となっています。以下それをご了承の上、お読みくださいマセ。


例えば、乗り物に乗り遅れる夢を見た時・・・。
夢判断では、『近い将来の予定に関して、自分の中で、まだ準備が整っていないこと』を示しているそうです。勿論、“乗り物”というキーについて、過去経験から思い起こされるイメージは個々により異なる為、あくまでも一般的には、ですが。

試験の前夜に、“乗り物に乗り遅れる夢”を見るなんていうのはその典型で、本人の意識では『充分に手は尽くした』と思っていても、無意識下では『まだやり残している事がある』と認識している。そんな深層に潜む心理を、夢は表層に掬い上げてくるそうです。
それは何も、嫌な夢をみせて自己虐待しようというのではなく、むしろその逆である事が多いようです。人間、嫌な事から目を背けたり、臭いものには蓋をする性質を、避けようも無く有しているものですが、本来の姿や状況とキチンと向き合う事で、自分自身を救う手立てを示してくれているのです。

もう一つ例えれば、すごく辛い事象に直面しているのに、本人は『大した事じゃない』と自己暗示をかける事で、自分が辛い状態にあることに気付かないようにしている時。そんな時に、夢の中では思いっきり大泣きしたりすることが、あるそうです。
精神が深く傷ついているのに、本人の表層意識はそれを認めない。そんな場合、深層意識が代わりに、その傷ついた心を癒すように働いてくれるのでしょう。
身体に付いた傷は、白血球が治療してくれるように、精神的に付いた傷は、夢が癒してくれるのだと。
脳は、実際に体験した事と同じように、夢で体験した事も蓄積する・・・。とすれば、夢で見た事が、現実の生活にも影響を及ぼすことになりますよね。人間の精神は思っているより傷つき易くて、それを知らない間に治癒してくれるのが“夢”を見る意味だとすると、人間って、本当によく出来てるなぁっと、感嘆します。

余談ですが、『夢の中で死んじゃった』ていうのは、縁起が悪いとは限らないようです。今の自分を変えたい、生まれ変わりたいという願望が強くなった時に、それまでの自分をリセットする意味で、『死ぬ夢』を見る事が多いそうですよ。



前置きが長くなったのですが(ホントだよ・・・)ここからが本題です(え・・・?)

記憶というのは、凄く神秘的というか不思議なもので、自分では注視していたつもりはないのに、実はびっくりする位に細部までメモリーしているもののようです。風景、状況、人の姿、置物・・・等等。過去の事象を、思い出そうと必死になっている時には出てこないのに、ある時ひょっこり鮮明に思い出す・・・なんて経験、誰にもあるのではないでしょうか。
普段からある程度、意識して記憶を手繰り寄せる癖を付けていると、思い出す率と程度は高くなるように思います(自分の経験から)

で、これは私の、無聊をかこっている時の趣味なのですが、昔住んでいた街や家、旅した先の風景を、記憶を繰りながらゆっくりと思い出していくと、びっくりする位鮮明に、その場の情景を描き起こせる時があるんです。その当時は注視した覚えのない細かい部分でも、色や質感、場合によっては臭いのようなものまで思い出せる事もあり、まるでその場に自分が立っているかのように錯覚してしまう位の存在感に、思考を現実に引き戻すと、どこか旅をして来たような気分にさせられる程です。(・・・危ないかな、ワタシ)

これは何も、昔の情景に拘る必要はなくて、現在住んでいる街や家を想起することでも、同じような感覚が味わえます。
今居る部屋から廊下に出て、階段を降り、玄関を抜けて、道路を歩いていく・・・。そうすると、近隣の庭の様子や道路標識など、自分でも戸惑うくらいによく記憶しているモンです。(慣れないと記憶を繰るのに手間取るかもしれませんが。私はこれは趣味みたいになってしまっているので、手繰り寄せ易くなっているのかもしれません)

この、“記憶を使って、情景を、まるで見ているかのように再現させる”という脳内作業を行っている時の感覚は、夢をみている時の感覚に酷似しているんです。まるきり架空の世界を創造(妄想?)している時とは、明らかに脳内回路の働きが違っていると思います。
もしも、この状態の脳が本当に、夢を見ている時の脳の信号と同じようなパターンを示しているとしたら、『記憶を繰りながら情景を描き出す』ことによって脳内に現れた世界は、脳にとっては『現実との区別がつかない』世界になっているんじゃないでしょうか。

・・・あ、コレ、宗教とかスピリチュアル世界とかとは、関係ない次元で話しているつもりですよ?(苦笑)引かないで〜〜。

で、ですね。
記憶を手繰って紡ぎだした情景は、“現在の時間枠”にある情景ではない訳です。過去の記憶を使って描き出された世界なので、過去の時間枠に属する風景な訳ですよ。(未来を描こうと思うと、それは空想の枠にシフトしてしまうと思う)
それなのに、脳は、“今そこにある現実”と区別出来ずに認識するとしたら、それは時間という概念を超えた世界だなぁと思うんです。
また、本体の自分は一歩も動いていないのに、遠くにある情景を描き出しているのだから、空間という概念も超えているんです。
部屋の中に居ながらにして、時間という縛りのない、物理的に届かない空間に、『行く』事が出来る。
この“時間”と“空間”という概念を超えた世界を脳内に描き出し、それを“今ある現実”と同じ経験値として蓄積出来るとしたら、何だか人間の脳の可能性が広がる気がしませんか?

尤も、今の私は、ただ単に情景を思い出しているだけで、それを経験値として活用する術を何も生み出していないので、意味の無い、生産性のない戯言でしかありませんけれど。



それにしても、この文章、第三者に意図を伝達出来るレベルに仕上がっているとは思えない・・・。(ダメじゃん・苦笑)
最後まで読んでくれた方、ごめんなさい。そしてありがとう・・・。
| 考える葦 | 17:10 | comments(0) | - | - | - |

世界は不思議物質で満ちている!

あのね、本当は宇宙空間にミノフスキー粒子なんて存在しないんですって!!


・・・まぁ、ミノフスキー粒子はそうなんですが(笑)
実際、私達が生活している空間には、五感で認識出来ない物質が、多々存在している訳です。
ケータイやネットの電波やら、電化製品から出る電磁波やらが、家の中にもガンガン飛び交っているだなんて、知識では知っていても、ナカナカ実感出来ないですよね。でも実際、ソコココにエネルギーを持って存在してるんでしょ? 質量とエネルギーは等価なハズだから、五感で認識出来ない電波にも、ちゃんと質量があるって事ですよね(?!) 不思議だね〜。
でも、もしもそれらの物質が視認出来たら、凄く煩わしいでしょうね。見えなくて良かった(笑)


で、思うんですけど、未だ化学的に立証出来ていない物質が他にも存在するって事、ありえるでしょうか。
私が常々思っているのは・・・というか勝手に想像しているだけなんですが、人間の感情が質量を伴っているという事は、有り得ないでしょうか。


あ、宗教やスピリチュアル世界とかの話じゃないですよ(笑) そーゆーのはむしろ苦手ですし。

ただ、疑問に思うんです。ある人の感情が、他のある人に影響を与える・・・その影響力の源って何なんだろう。人体から、他者へ働きかける物質が放出されているのではないだろうか。

抽象的な言い方では意味が伝わらないと思うので、具体例を示しますが、例えば・・・。

相手が身振りや言葉では何も示していないのに、何故か自分に対する好意・又は嫌悪が、伝わってきたりとか。

誰かに注視されている気配を感じ、更にその注視が、好意的なものなのか悪意があるものなのかを、察知する事が出来るとか。

他者の感情の波が、自分の感情に働きかける場合もあります。
気力に満ちてやる気満々の人と同室していると、こちらもつられてテンション上がってしまうとか、逆に当てられて疲れてしまうとか。
落ち込んでどよ〜んとなっている人と一緒に居ると、こちらの気分もブルーになってしまうとか。

ただそこに居るだけで、ほのほのと暖かいオーラを発しているような素敵な人と一緒に居ると、何にもないのに幸せな気分になってくるだとか・・・。

尤もそれらの現象は、相手のちょっとした所作や声のトーン、表情筋の弛緩や緊張を、無意識の内に脳が受け止めて、それに対して自分がどう反応するべきかを分析する処理を行っていることから起こるのかもしれません。別に『感情オーラ』のような物質が放出されている訳では無いのかも。

でも、もしも、感情オーラ・・・例えば幸せ気分を表すホワホワしたピンクとか、嫉妬を表す刺すようなレーザー光線だとか、まるで漫画の擬態表現のようなものが視認出来たら、面白いだろうなぁ・・・。
いや、自分の感情が他人から丸見えだったら困るけれど(苦笑) 人が沢山集まっているような場所で、そんなオーラが見えたら・・・と思うと、かなり興味深い。

現実の話、公共の場所で赤の他人と一緒にいる時って、それらの個々が様々な感情を持って動いているっていうのを、忘れてしまう事が、誰しもあると思うんです。無機質なモノと同じように思えてしまう。

でも、本当は、電車乗っている時も、本屋で立ち読みしている時も、カフェでボーっとお茶飲んでる時も、それぞれの人間が、決して単調ではない感情を伴いながら、それを表に出さずに生息しているんですよね。
その空間における、それら人間の感情を、エネルギーに換算すると、膨大な質量の物質が渦巻いている事になるんだろうなぁ・・・と想像すると、人間が生きるこの世界が、とても不思議なものに思えてきます。

また、人間だれしも、自分の本当の本当のホンネというのを、自身で完全に把握出来ている訳ではなく、自己が被せたペルソナを『自分の感情』だと誤認している場合もありえるわけで、そのペルソナに覆われた部分の感情を合わせると、『人間の感情が視認出来る世界』というのは、凄く混沌とした空間だろうなぁ・・・と、恐れにも似たような気分になります。


そしてその“人間の感情”というものが、物理的に存在する物質と同じように(又はそれ以上に)、人間世界を動かす力の源になってきているんだから。

それらのエネルギーを、一介の人間が見通す事が出来るなんていうのは、あまりに荷が重いかもしれませんね(笑)
| 考える葦 | 19:20 | comments(0) | - | - | - |

打鍵しながらイライラする話(笑)

ちょいと事件有りで、パソを触れない日々を送っておりました。
何というか・・・「自分の歳を、ちゃんと認識しろっ」と、しみじみ思わせる出来事だったのですが、まぁそれはいい・・・。

若い気分でいるというのは、基本的にはいい事だと思うんですよね。見た目も中味も思考回路も、歳喰うよりも若い方がいい訳で。幾つになっても、新しい事に挑戦する気持ちは持っていたいと思うし、女としての見た目もそれなりに保っていたい。

ただ、『若い』のはいいけど『幼い』のは、迷惑だしムカつきます。大人としての自覚と責任を果たした上で、若くいるというのが、いわば常識。あ、これは別に、先に書いた“ちょいとした事件”とは無関係な話なんですが(笑)

先程、久しぶりにネット巡りをしる時に目にした、『私は28歳の女の子です』という書き込みに、ムム〜ン?っと違和感を感じたのを思い出して、浮かんだ話題。
28歳って、女の子かぁ〜(大笑) 書き込みの内容も、大人の女性としてはハズカシイ、幼稚な内容だったので、尚更滑稽だった上、何故か不愉快を感じました。

私の感覚で言うと、20歳を超えた女性が『女の子』を名乗るなど、ちゃんちゃら可笑しいです。
でも実際、会社勤めをしているOLさんを指して「うちの女の子達が」なんてフレーズ、普通に使われているんですよね。う〜ん。実際わたしも、結構な歳になるまで『女の子』って言われてたし(苦笑) でも、自分から「私は2●歳の女の子です」なんて、間違っても言わなかったけどなぁ。

まぁ、『女の子』という言葉を使う使わないは、二次的な問題。
いい年ぶっこいた大人の女性が、思考的な部分で、いつまで経っても保護される者気分で『女の子で〜すv』とのたまい恥かし気もないという部分が、どうにも不愉快です。

しかし、こういう事って、気にならない人は全然気にならないんだろうなぁ。私はどうも、ムカッっときてしまうんです。多分、私の中に、そういうオンナに対する何らかのコンプレックスが潜んでいるんだろうなぁっと、我ながら分析してみたりします。自分の事を『女の子で〜すv』とのたまうオンナに、酷い目にあわされた過去があるのかな・・・狙ってたオトコを奪われたとか?!(苦笑)


不愉快ついでに、もう一つ、私が何故か必要以上にムカつきを感じてしまう女性のパターンを取り上げましょう。ムカつきついで!!(笑)
それは、朝の通勤電車の中での遭遇率が高い、“あの手”の女性です。
今や、電車の中で化粧は、日常風景と化しております。
かつての私は、公の場で化粧をしている非常識さを(コスメフリークとして)許せなくて、いちいちムカムカしておりましたが、最近ではもう、慣れっこです。化粧水や下地から始まっちゃってるコを見ても、何とも思わなくなりました。粉が飛んでくる等の実害が及ぶ場合は「粉飛ばさないで下さい」っと、キッチリニッコリ申し上げておりますしね!(あ〜あ・・・)
ただ、一つだけ、どうしても我慢出来ない事があるんです。その手の女性のコスメポーチの中は、大抵ぐっちゃぐちゃです。確率90%以上です(笑) そして群を抜いてキタナイのが、ファンデーションのパフ・・・!! 真っ黒に汚れたパフを使って、ファンデーション塗りたくるオンナを見かけると、私の中の不愉快指数が、ググーっと上昇します。
だってさ、「一ヶ月間、ハンカチ洗ってません」という人が、そのハンカチで顔を拭いていたら、不愉快・・・というか気持ち悪くなるでしょう? 
それと同じです。何時洗ったんだか分かんないような真っ黒のパフで、顔面にファンデ塗りたくってる様子は、本当、気持ち悪いです。
いや、百歩譲って、一ヶ月洗ってないパフで化粧しようがなんだろうが、それは本人の自由だとしましょう。しかし、そんな不衛生な様子を、公の場で晒さないで欲しい。頼むから・・・。本と、気持ち悪いよ・・・。

でも、コレに関しても、気にならない人は全然気にならないんだろうから、私の中にある何かしらのコンプレックスが原因なのかもしれない。真っ黒なパフでファンデ塗りたくるオンナに、オトコを獲られたとか?!!(お〜い・・・)
| 考える葦 | 15:39 | comments(2) | - | - | - |

官庁も編集しているwiki(笑)

表題とは、少し離れた内容です。すいません。

wikiで、新内閣の閣僚面々の経歴を、つらつら読むのにハマっております。当然のように、関連項目をリンクリンクで飛びまくり、いつしか全然関係ない方面の記事を読み耽っていたりして。wikiって一度潜ると抜けらんないよね〜。

それにしても、安倍さんの人事は手堅かったですね。突拍子もない人選で、賭けに出るのも手かなぁっと思ったんですが。
ベテラン勢が揃って、安定感はあるかもしれないけど、安倍さんの手腕が振るい難くなるんじゃないかなぁ。

内閣改造の結果を見て、支持率が上昇したと報じられていますね。とりあえず、「も少し様子を見てみるか」と思える顔ぶれかな。

ところで、支持率などの電話調査って、ちょっと疑問。ランダムに発生させた番号に電話掛けて調査するという事だけど、電話で回答に応じられる家庭って、偏りがあるんじゃなかろうか。夫婦共働き家庭だと、日中の電話は取れないから確立が減るし、独身一人暮らしで固定電話を持たない人も多いだろうし。
そうすると、世論調査に回答できる確立が高いのって、日中家に主婦がいる家庭や、老夫婦家庭? 調査の内容によっては、結果に偏重が生じるのではなかろうか?なかろうくないのだろうか?
| 考える葦 | 22:47 | comments(0) | - | - | - |

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