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素人の般若心経

母が、「般若心経を覚えるといいよ」と言ってきました。

般若心経とは、大乗仏教の経典の一つで、宗派を問わず永く唱えられてきている、ありがたいお経・・・との事。あの西遊記の三蔵法師のモデルとなった玄奘さんも、訳著をされたという。

これから子育てをしていく私に、何らかの教示をしたいと思ったのでしょうか。
母は、特に仏心厚いという訳ではないのですが、現在の私と同年代だった頃に非常に辛い事があり、その時に般若心経を唱えることが心の支えになったという過去があるそうで。
私のダンナ実家は神道だし、お経を覚える必要はないんだけどな〜と思いつつも、まぁ親孝行の一つだと、いっちょ暗記してみることにしました。
多くの宗派で用いられているそうなので、いつか何処かで役に立つかもしれないしぃ?(一体どこで役に立つんだか・・・)

とは言え、意味も分からず、“音読み”のみで暗記が出来る程、私の脳みそは若くはないです。そこで、意味を読み解きつつ暗記に挑戦すること数日。淀みなくスラスラと唱える事は出来ませんが、まぁ何となく暗記出来たカンジで(笑)

そして、意味を読み解いていくと、やっぱりその内容に思考が及んでいきます。私も母と同じく、特定の宗教に信心厚い訳ではないので、仏様の有難い教え・・・という捉え方というより、何故このお経が、長い歴史の中で多くの人に唱えられてきたのかという点に興味を惹かれて考えてみました。

無神論の人でも、日本人なら誰もが聞いたことはあるであろう、『色即是空(しきそくぜくう)空即是色(くうそくぜしき)』を説く部分が、般若心経の主文の一つです。
“色”即ち人間の肉体は所詮“空”であると。“受”感情“想”思考“行”行動“識”経験も、また然り。
この“空”の解釈は、素人が説明するのは極めて困難ですが、『なにも無い』という事らしいです。しかし、なにも無いと言っても、単純に“無”とは違う。数学でいう『ゼロの概念』に近いかな? (ゼロの概念も、確立されたのはインドと言われていますね)

この『色即是空』という考え方は、私も共感する部分が大きいです。“色”は兎も角、“受”感情というものは、結局存在しないもの。例えば、「嬉しい」という気持ち一つをとっても、そこには「爆発するような激しい喜び」から「ほこほこと沸き出でる穏やかな喜び」まで幅がある訳で、ここで挙げたその二つの「喜び」に、もしもそれぞれ別の名を冠したら、それは全く別個のモノになる訳で。結局「嬉しい」という言葉で表現されている感情は、「嬉しい」という言葉で囲われた実態の無いモノという事になる。でもそれは「なにも無い」というのではなく、確かにそこには、なにかが存在している。
・ ・・・・・・・的なことは、般若心経に触れる以前から、そこはかとなく考えたりもしていました。

それはいい、色即是空はいいんです、納得。

でも、分からないのは、下記の部分。
無智亦無得 以無所得 (むちやくむとく いむしょとく)
いろいろな宗派がどう説いているかは置いておいて、素人のワタクシが素直に意味をとってみると・・・人間は所詮、仏様の知恵に到達することなど出来ず、悟りを開くことなど不可能なのだから、いくら思考しても無駄である。っと、言っちゃってるんですね。
んで、以下、「考えても無駄なんだから、とにかく、仏様が下さったありがたい呪文を、無心で唱えなさい。そうしたら、いいことあるよ☆」っと続くのです。
え〜〜〜?!それでいいの?
試験勉強もせずに合格祈願のオマジナイばかりしている受験生みたいじゃん。アプローチ一切せずに恋のオマジナイばかりに凝り固まってる乙女みたいじゃん?!

っと、般若心経の核の部分になるであろうこの箇所に、どうにも納得出来ないワタクシです。
しかし、「人間の知恵は、仏の知恵の前では、ゴミに等しいので、脳みそ使わずに、ただ呪を唱えなさい」という教えが、歴史上そして現在も、多くの人の心を捉えているからには、その裏には何かがあるに違いない。

そこで、WEBやら、本やらで、般若心経解釈を、パラ見してみました。
あるわあるわ、様々な解釈が。だから、同じ経典を用いながらも多岐に分かれた宗派が存在するのですね。
あんまり深いとこまで読んでいくと、何だか別の世界の人になってしまいそうなので、今のところはパラ見ですが、要するに、仏心厚くない私としては、自分に心地よい解釈をして唱えていれば、OKってことですね!!(そうか?)

小説家で「大河の一滴」の作者である五木寛之氏が、著作された般若心経解釈本の中で、こう綴っておられました。本当にありがたいお経というのは、聞くだに、胸にキュンキュンくるんだと。尾てい骨にガツンと響くのだと。
棒読みで「かんじーざいぼーさつ ぎょうしんはんにゃーはーらーみったーじ」と空虚に唱えていても、ぜんぜん胸キュンしないんだと。
成る程・・・般若心経に胸キュン出来る日が、私に訪れるとは、今は思えないのですが、何だか興味が湧いてきたので、もう少し深い部分まで付き合ってみようかなぁと、そう考える今日この頃です。仏心というより探究心!!(笑)
| 考える葦 | 15:31 | comments(2) | - | - | - |
Comment
タイムリーだなぁ〜〜
またもや、お邪魔しますv

ちょっと解釈が違うかもしれませんが、先日聞いたメンタル講師が、引用として、般若心経をあげて、「何も無いということと、空っぽということは、違うのです」と言ってました。

般若心経では、「空」と「無」を使い分けており、空=無ではないのです。

「この目の前にある、何も無いように見える空間は、目で見ても何も見えませんが、確かにこの空間に存在するものがあり、それは「気」とか「エネルギー」という言葉で表されたりしいます。」

「同じ目の前にある空間でも、寺社仏閣のように、『清々しい』と感じたり、『澱んでいる』と感じたりするのは、確かにそこに目では見えないものが存在していて、それを人は「感じる」のです」

20世紀が目に見えるものを追求した科学の世紀だとすると、21世紀は目に見えないものを追求する世紀になります。(微粒子とかね)

物理を究極につきつめていくと、そこには心理学とかメンタルとか気のような、現在極めて曖昧と思われるものが出てくることとなり、目に見えないものが、人にどのような影響を与えるのかが、解明されると思われます。

などといったお話があり・・・そこでは、昔から言われてたことわざ的な・・・「笑う門には福来たる」とか、「因果応報」とか、そういったものは、単なる言い伝えではなく、ある種の法則に基づいた経験の伝承であり、21世紀はその法則が証明される世紀なのです。とのことでした。

んで・・・今はまだその法則の部分は解明されていないけど、笑う門に福が来るなら、笑えばいいじゃん!!と、法則に導き出される結論を利用したほうがいいですよ!という感じのお話でした。

もっと、波動の話とか、言霊の話とか、夢を叶えるための方法とか色々あったんですけどね!

なんか、ちょっとタイムリーだったので、書きこませていただきましたvv
2009/02/05 10:05 PM, from Pぅ
Pぅさん、ようこそですv
レスが遅くなってゴメンなさい(汗)

何とも偶然ですね!!同じ時期に般若心経の考え方について触れる機会があったとは!
般若心経が説く『空』の観念については、それと似たような事を以前から感じていたのもあり、共感する部分が多かったです。
あまりにも凝り固まった運命論者は毛嫌いするくせに、それでもやっぱりこの宇宙には、(現在の)人智を超える法則が存在するのではないかと、そう思う私です。
まぁ、悪いことしたヤツが必ず不幸になるとか、良い事してれば必ず救われるとか、単純な勧善懲悪な法則では、残念ながら無いようですが(苦笑)

ただ、現在の人智で解明されていない、その宇宙ナンチャラエネルギーを、自分の希望する道へと導くのも、人が体内(魂?)に持っている人魂ナンチャラエネルギーの力なんだよ、きっと、と考えるのが、前向きで宜しいのではないかと(笑)

何を言いたいのか分からなくなってきました・・・。
でも、「こんな話題、誰も興味無いだろうなぁ」と思っていたのに、思いがけずコメント頂けて嬉しかったですv

どうもありがとうございましたv
2009/02/09 4:40 PM, from ますみ










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