重い話題

今回は、重い話題な上に、私の中で答えが出ていない問題なので、趣旨がぼやけて支離滅裂な文章になっている点、ご了承下さい。

脳死を「人の死」とすることを前提に、現行では禁止されている15歳未満からの臓器提供を可能とすることを柱とした臓器移植法改正案(A案)が、衆議院で可決されたとの事。
参議院での採決の結果or衆議院解散時期次第で、未だ廃案になる可能性もあるようですが、政治的観点はちょっと横に置いておいて、この法案自体について、思うところを綴ってみます。言いたい事それ自体が頭の中で纏まっていないので、書き散らかしになりますが。

臓器移植を望む患者さん及びご家族の多くが、その希望を適える為に、莫大な資金を調達した上で海外へ渡航することを余儀なくされている現在、国内でのドナー提供者を増やす取り組みは不可欠かと思います。
しかしそこには、“脳死を人の死とみるか否か”という、倫理的な問題の解決をしなくてはいけません。
思想・宗教の自由が(法的に)認められているわが国に於いて、個人が持つ人生観の中で重大な思想の一つである“死”について、法律によって一律“脳死は人の死だ”と定義される事に、抵抗感がある人も多いと思います。
そもそも臓器移植に拠る延命を、「エゴだ」とする意見もあるようです。

もしも、自分自身が脳死状態になったとしたら・・・。家族の人生を巻き込む事を考えると、延命はしないで欲しいと思います。臓器提供して、その臓器で生きる命があるのなら、それでいいなと。そう思いつつも、ドナーカードは持っておりませんが。

そう、自分自身や、自分より先に逝くのが順当な親が万が一そうなった場合は、「この体でお役に立てるのなら」と諦められるかもしれません。(実際にその段にならないと分かりませんが) 勿論、今だ温かい体のままでいる大切な人の命を、諦めるのは、とてつもない苦渋の決断だと想像しますが。
そして、その状態になったのが、もし万が一、我が子だった場合、どうでしょう。
私は・・・とても諦めきれないと思います・・・。
この法案が可決される前に、ドナーの提供を希望するお子様を持つ親と、脳死に近い状態のお子様を持つ親の、法案に対する想いを報道した番組がありました。
ほぼ脳死状態と宣告されながら、成長を続けるそのお子さん。髪の毛が伸び、身長も体重も増え続けているといいます。その血肉を感じつつ、子の命を諦める事なんて、親として到底出来そうにありません。

一方、臓器移植手術に望みを繋ぐご家族の気持ちも、痛い程分かります。
他人に「エゴだ」と言われようと何でも、我が子の命が助かる可能性があるのなら、出来る限りの手を尽くすと思います。
15歳以下の子供の臓器提供が法律で禁じられている現在、海外での手術を余儀なくされている訳ですが、その際、「脳死状態になった、海外の子供」が居り、その子からの提供を受けている事を、直視せねばなりません。外国での事だから“どこか遠い話と思える”では、到底済まされません。

また、現実を見据えるのはあまりにも辛いですが、親によって凄惨な境遇に置かれている子供も居る事実を、もう一度考える必要もありますよね。考えるだに胃がムカムカしますが、我が子を臓器提供者とする為に・・・。
ごめんなさい、とても打鍵できません。


臓器移植という大きな問題について、「今だ議論がし尽くされていない」という意見も聞きます。時期尚早だと。
しかし、ドナー提供を待ち侘びておられるご家族からすれば、時期尚早どころか遅すぎるくらいでしょう。
この“議論”が、どの場に於ける議論なのかは分かりかねますが、『見識者による議論』ならば、この改正法案が論議される前に十分練られるよう、手配するのが政治だと思うのですが、その辺り、どうなってるんだろう。
そして、この“論議”の場が、『一般の国民の間での議論』という意味ならば、論議し尽くされる日なんて永久に来ないと思います。

某大手サイトによる「育児中ママさん達のお喋り・相談広場」を覗いていて感じたのですが、日本人の心には、多かれ少なかれ“言霊信仰”が根付いているのですね。
不吉な想定による話題は、とてつもなく嫌がられます。
「もしも自分の子供が・・・」などと口にすれば、その言葉は力を持ち、現実に具現化する。無神論者が殆どであろう現代日本。(家に仏壇があるのは割と普通でしょうが、強い信仰心を持っている方は、割合としては少数かと思います) それでも、“言霊”の持つ力に畏怖を感じる人ば多いのは、土地の血でしょうか。
(横道にそれますが、言葉の持つ力については、私も信じる部分があります。霊的なものとしてではなく、人間の心理に働きかけるものとして、ですが。それについて述べると、また長くなるので避けますが)

かく言う私も、この記事で、「万が一我が子が」と打鍵する時に、躊躇を覚えました。
2chなどの特殊な掲示板ではともかくとして、ネット上・ネット外問わず、一般国民の間での議論が尽くされるのを待つというのは、気の遠くなる話でしょう。
私のように、「脳死になったら臓器提供してもいいと思ってはいるけれど、ドナーカードは持っていない」という人が大多数であろう現実、政治の力でごり押しするのも、やむを得ないとも思いますし・・・。

この法案が参議院で採決されたら、皆もう少し本腰入れて考え始めるでしょうか。


纏めの言葉を思いつかないので、冒頭での宣言通り、書き散らかしで終わりますが、最後に関係ない余談。

上に揚げた某大手ママさんサイトで、政治の話題を出した人に対して、「公の場で政治の話しをするのはタブーですよ!!」と、誹謗の嵐がおきて、びっくりした。私はROM専ですが。
そうか、あそこは、よーするに、公園ママさんの井戸端会議の延長なんだ。
| 考える葦 | 16:31 | comments(4) | - | - | - |

世界は万華鏡(詩的なタイトル☆)

ダンナが漫画『BASTARD!!』の最新刊を買ってキタ。
私も大昔は読んでいたけれど、今だにコミック買ってるダンナは、すごいと思う。(しつこいとも言う)

が、しかし、今回の記事は漫画の話ではないのです。
カバー見返しの作者コメントに共感したので、それについて少し。

見返しコメ及び後書きによると、作者の萩原一至さんに娘さんが誕生したとの事(おめでとうございますv)
以下作者コメントそのまま転載です。

子供が生まれてすぐに
わかった事があるのです。
ドラマとか聴いていて
今までスルーだったポイントが
すっごく効いてくるのです。
考えてみれば
子供がいる人が作った物って
すっごい多いはずですよね。
そーか・・・今までは半分ぐらいしか
聴けて見れてなかったのか・・・
音楽もニュースもオッサンの
ハゲ頭も、世界には
もうひとつの意味が
あったんだ・・・


私も同感です。人生三十数年、分かっていなかった事がまだまだ有ったなんてと、驚きました。
自分の内部に新たに生じた概念を正確に説明するのは難しいのですが、“目には見えていても、その意味を理解出来ていなかった事、もしくは理解しようと思考することすらしていなかった事が、数多く有ったのに気付いた”とでも言いましょうか。世界って、色んな側面を持っていて、立ち居地を変えないと見えない部分があるんだなぁって。

掴みどころ無さすぎな説明なので、カテゴリを狭くして言えば、それこそまぁ、ドラマを観ていて、子供と親が出てきたら、今までは子供側の立場からしか見えなかった場面が、双方の立場から見え、考えられるようになった、とかね。
勿論産む前だって、親の立場を「こんなカンジかなぁ」と想像する事は出来るし、ドラマ観る上ではその想像で充分なのですが、いざ産んだ後だとやっぱり「心への効き方が違うわ〜」と思う事が多くなったのは確かです。


誤解の無いように言っておきますが、別に子供を持ったから視野が広くなったとか、持たないからどうかということを述べたいのではありません。
子供を持ったことにより、諦めた事も多いし、見えなくなった事だって沢山ある。
ただ、世界は確かに、万華鏡のように、ちょっと角度を変えると見え方がどんどん変わっていくものだというのに、気付いたと。それはやっぱり嬉しい発見なのでした。

とは言ってもね。
例えばの話、宇宙飛行士さんから「宇宙から眺める地球は最高だよ、君!人生観変わるよ!人間一度は、アレ見るべきだね!」と言われたとします。
そりゃ、見ないよりは見た方が、人生豊かになるでしょうが、その為に費やさねばならない時間と努力、捨てねばならないモロモロとを量りにかけると、大部分の人は、「いや〜本と、見れるなら見てみたいケドね〜」と苦笑いするしかないでしょう。
登山家さんから「オレはエベレストの山頂の景色を見て、非常に多くの事を学んだね!!人生に必要な経験だよアレは」と言われても、「よっしゃそれじゃいっちょ、自分も登ってみるか」と即座に動き出す人も、稀でしょう。


世の中には、固定されがちな思考回路を、劇的に変化させる、そのきっかけとなりうる出来事が、多々存在しているのです。
そしてその中の一つを選ぶと、他方を捨てねばならない事も多い。
それでも人は、道程で、何かを拾い、その為に何かを諦めていかなければならない訳で・・・。拾って得たものと、諦めたものをと量りにかけて、得たものの方がより喜びに満ちていたら、その人生は幸せなのかもね。

まぁ、くどくどうざったい事を述べましたが・・・(笑)

そんな訳で、萩原氏のコメントに大いに共感しつつも、『半分くらいしか見れてなかった』という部分には、「いや“半分以上”見れてなかったハズだよ」と突っ込みを入れたい気持ちです(笑)
それに、同じ子供を得るにしても、男性と、産んだ女性とでは、やっぱりまた見えるものが違うと思いますしね。(しつこく念を押しますが、どちらが偉いという話ではないです)


かく言うワタクシ。
娘を得たおかげで、かつては自身の一部と感じていたことさえある“お絵描き”を、全く出来ないという悲しい現在を生きています(笑)
娘>>>>>>>>>お絵描き になっちゃってるからだけどね。
せめて、いつかまた絵を描く機会が巡ってきたその時は、娘を得た事によって生じた新しい概念を、そこはかとなく表現出来たらいいなぁなんてね。
| 考える葦 | 15:10 | comments(0) | - | - | - |

今そこに在る菌・無い菌

新型インフルエンザに関する騒動も、一区切りついた感がありますね。いや、菌はまだ存在しているに違いないけれど、連日の騒動に、皆もう飽きたというか(笑)

で、“菌”について思うことが少々ありますので、綴ってみます。
下の話も入りますので(赤ちゃんの事ではありますが)、苦手な方やお食事中の方はご注意を。




赤ちゃんがベッドから転落するのを防ぐ為に、いっそもうベッド使うまいと、床に布団敷いて寝るようになって随分経ちます。
日中マメに干すようにはしていますが、お昼寝もあるので、基本的に布団は出しっぱなし。
MYドーターがお昼寝する横で、私も一緒にウトウトする事もあります。

外遊び後のお昼寝時、ごろんと布団に転がりながらフト思い出したのですが、かつて私はある面で“汚れに対する強迫観念”がありました。
寝具を使うのは、お風呂に入ってパジャマに着替えた後でないと気持ち悪いと思っていたのです。日中の汚れが付着したままの体で寝具に入ると、寝具が汚れるじゃない!!ってね。
お風呂前に布団の端にでも乗ってしまうと、シーツやピロケースにベッタリと汚いものが付着しているような気がして落ち着けなく、翌日には全部ジャバジャバ洗ったもんです。
何の強迫観念だったんだろう。恐らく、顔に出来てしまった吹き出物にバイ菌付着して繁殖させたくなかったとか、そもそものきっかけはそんなモン。
『そこに菌がある』と意識すると、その存在がどんどん大きくなって、駆逐せねば済まなくなってくる。
そう言えば、一度でも使ったタオルで顔を拭くのも嫌で、一日の内何枚もフェイスタオルを使っていた時もあったなぁ。


また別の話で。
料理中でも食事中でも、MYドーターはおかまいなくウンチをしてくれるので、そういう場合は料理なり食事なりを中断して、オムツの処理をし、その後また料理や食事を再開するのですが・・・。
ママになりたてホカホカの頃は、オムツ処理後の手洗いは、かなり念入りにしていました。それがいつの間にか、“まぁフツーにしっかり洗ってるよ”という程度の手洗いにシフトしています。
一時は、「ベィビィのおしっこなんて汗みたいなモンだし、ウンチもヨーグルトみたいなモンだよね」と思えた頃もありました。今は離乳食が進んで、様々な物を食べるようになった分、ウンチも臭っさくて、流石に「ヨーグルトみたいなモン♪」とは言っていられなくなりましたが(笑)
まぁとにかく、そんなムチャムチャ汚いものだっとは、思わなくなっているんですよね、今は。
母が「ずっと前だけど、子育て中の知り合いが、赤ちゃんのウンチを処理した直後にリンゴを剥いて出してくれたんだけど、“さっきウンチを扱った手で剥いたリンゴ”と意識してしまい、すごく食べにくく思った事がある。自分が子育て最中の時には、全然気にならなかったのにね」と言っていました。(ちなみにその母、現在は孫のウンチに対して「ウンチ様ありがたや〜」と拝むイキオイです・笑)


そしてまた、つい最近、ダンナの「皿拭きのフキンは、ちゃんと漂白剤を使ってキレイにしろ」という言葉に、「確かに漂白はあんまりしてないケド、食器用洗剤でマメに洗ってるから汚くはないよ!」と、ちょい切れ気味に言い返したワタクシがいたな(笑) ダンナにとっては、洗ってようが洗っていまいが、とにかく“真っ白”な状態じゃないフキンは汚いという感覚らしい。ダンナ別に潔癖症でも何でもないのに(むしろ汚れに対してズボラなのに)、水周りだけはやけに気になるらしいです。


そこに在ると意識すると大変な汚れに思えるけれど、意識しなければ無いのと同じ、それが細菌。(健康面での実害がないレベルでの話しですが)
気になる部分と気にならない部分は、人によってまちまちなのが面白い。


しかし、連日連夜TVで報道されていると、嫌でも『そこに在る』と意識させられてしまうよなぁ(苦笑)
ヒステリックにならない程度に、キレイを心掛ければ良いと思います。
感染者が出た地域の人間、丸ごと感染源扱いってのは、あまりにも行き過ぎですよね(笑・・・えない)

日本人の『菌』に対する反応は異常とも言われているようですが、「アメリカではどうだ」「ヨーロッパではどうだ」を連呼するのも格好悪い。
欧米と異なる風土を持つ日本では、カビや細菌に対する意識や対策が異なるのは当然だし、野外から屋内に入る際に、靴を脱ぎ手水を使うという古くからの習慣のある日本人の血が、“外の菌を家に持ち込まない”事を強く意識させるのも致し方ないと思います。
日本人の清潔志向が、産み出し普及させたウォシュレットトイレなんかは、世界に誇れる宝だと思いますしね!(笑)

まぁ、行き過ぎも良くないし、至らなすぎも良くないってコトで。
| 考える葦 | 13:21 | comments(0) | - | - | - |

マキアヴェッリ語録

先日、麻生首相が、『八重洲ブックセンター』で購入したという十冊の本。
その中に、私も愛読している本があったので、その本について綴ってみたいと思いま・・・思っていました。
タラタラしている内に、話題の旬を逃してしまった感がありますが、まぁいいや、折角だから、自分メモのつもりで綴っておきます。


塩野七生氏著『マキアヴェッリ語録』
Yahoo!ニュースの記事に、「(この本を買った麻生総理は)政権維持の方法を探ろうとしているのかも」と書かれていましたが、折角読むのならぜひ政権を取る前に一読頂きたかった一冊です(笑)

マキアヴェッリ語録 (新潮文庫)
マキアヴェッリ語録 (新潮文庫)
塩野 七生

ニッコロ・マキャヴェッリ(Niccolo Machiavelli, 1469年5月3日 - 1527年6月21日)は、イタリア、ルネサンス期の政治思想家である。著書に、『君主論』、『ティトゥス・リウィウスの最初の十巻についての論考』『戦術論』など。理想主義的な思想の強いルネサンス期に、政治を宗教・道徳から切り離して現実主義的な政治理論を創始した。日本語ではマキャヴェリ、マキャベリ、マキァヴェリ、マキァヴェッリなど様々な表記が見られる。
(ウィキペディアより)

マキアヴェッリその人物を知らずとも、「目的の為には手段を選ばない」に代表される、マキアヴェリズムという思想は知っているという人も多いでしょう。
権謀術数主義と言われるその思想を持つ施政者は、暴君的色合いを持っているのではないかと誤解されそうですが、マキアヴェッリが書き残した言葉を読めば、後の時代で彼の思想の印象的な部分が一人歩きしてしまったのだと分かります。彼の思想が求める最終目的は、君主に富と権力を掌握させるところにではなく、国民が安心して平和を享受出来る国家を築くところにあったのだと、そう感じられますから。

マキアヴェッリが理想として掲げている統治技術では、キレイゴトだけでは治められぬ「国家」を固める為に、群衆心理を巧みに操り、時には人倫に背くと非難されるであろう手段をも致し方無しとされています。
“いいひと”“正義の人”というだけでは、国は治められないんだよ、という訳です。こう言えば、嫌悪感を覚える人もいるでしょう。
しかし、彼が分析する群衆心理や個人の性癖は、現代の私たちに鑑みても成る程と納得する点ばかり。“統治される側”が“統治する側”を知るという意味でも、一読の価値があります。
また、政治という観点を離れ、社会を生きる一人としての“訓戒”としても、最適な言葉が盛り沢山です。
マキアヴェッリの思想まるごと受け入れるというのではなく、その中で「これイイ」と思える一言を探し出し座右の銘とするだけでも、人生観が少し変わるカモ・・・と思います。

とか言いつつ、私が読んだのは、マキアヴェッリの著作そのものではなく、あくまでも塩野七生氏がチョイスした「語録集」
なんせ、あの明治文壇の重鎮・森鴎外をして「読み易き書と称すべからず」と言わしめたという完訳本を、私ごときが読めるハズもない(笑)
塩野七生女史の視点で、これはと思う言葉の数々を抜き出し、マキアヴェリ思想のエッセンスとして纏め上げたこの『マキアヴェッリ語録』は、言わばマキアヴェッリ思想へのショートカットと言うべきでしょうか。

私は、塩野女史の著作の崇拝者ではありますが、その私の目から見ても、女史の歴史人物観に全幅の信頼を寄せるわけにはいかないと感じます。なんせ女史の執筆の原動力の一つは、「萌え〜v」ですからね。萌えで歴史を綴る知性派女性、それが塩野七生女史。(って、それ言い過ぎ)
しかし、この著作は、あくまでも、マキアヴェッリの言葉の抜粋集。チョイスに塩野氏の性向が加わっているであろうとは言え、難解な完訳を読むことなく、マキアヴェッリの(政治的)術数論に迫れるのだから、お得な本だといえるでしょう。
ホント、麻生首相、ちゃんと読んでおいて下さいよ(笑)

余談になりますが。
『マキアヴェッリ語録』は、特に歴史知識が無くても読める本ですが、マキアヴェッリが生きた時代のイタリア半島は、群雄割拠していた上、大国フランスからも虎視眈々狙われていたという戦国期であり、“軍事”を政治から切り離す事は不可能であった点を念頭に入れる必要はあると思います。
また、マキアヴェッリが理想として掲げた君主・チェーザレ・ボルジアについても、塩野女史の著作がありますので、それを合わせて読むと、より理解が深まるかと・・・。

チェーザレ・ボルジアと言えば「ボルジア家の毒薬」で名高く、その為、陰謀渦巻くドロドロ汚い人生を生きていたのではないかという先入観があるかもしれません。っていうか、私自身がそんな先入観を持っていました。しかし塩野氏はそれら“風説(俗説?)”を一蹴し、戦乱のイタリア半島に現れた一人の英雄として、チェーザレを描いておられます。日本史の織田信長的なヒーローかな。
塩野女史の若き日の著作である為、近年著された『ローマ人の物語』ほどの面白さはありませんが、女史の才能の芽生えを感じられる一冊です。
チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷
チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷
塩野 七生


最後に。
『マキアヴェッリ語録』の中で、私の心に引っかかった部分を、何点か、そのまま抜粋致します。

いかなる政体であろうとも、国家というものは、はじめから完璧な組織づくりができているなどということはありえないのだ。
それゆえに、一度ならず手直しが必要とされてくるのだが、その改革が根本的なものであればあるほど、ただ一人の人間の意思と能力に、改革の成功が左右されることが多いのも事実である。
しかし、この種の大任を負う一個人は、私利私欲よりも公共の利益を優先し、自らの子孫のことなど考えない人物であるべきで、そういう人物こそ根本的な改革もなしうるのだから、そのために必要な全権力を獲得するよう努めてほしいものである。
そして、この種の目的のためにいかなる非常手段が用いられようと、非難されるべきではまったくない。
結果さえよければ、手段は常に正当化されるのである。


指導者を持たない群衆は、無価値も同然の存在である。


人は、大局の判断を迫られた場合は誤りを犯しやすいが、個々のこととなると、意外と正確な判断を下すものである。
だから民衆も、巨視的な視野を要求される事柄の判断力では頼りにできないが、ミクロな事柄ならば、多くの場合正確な判断をくだせるのだ。


判断力ということでも、民衆のそれは、意外と正確だ。二つの対立する意見を並べて提供してやりさえすれば、世論のほとんどの場合、正しい方に味方する。
もちろん、世論にも欠陥はある。真に有益なことよりも、見ばえのよいもののほうに目を奪われる場合が多いからである。
しかし、指導者たちといえども、自分たちの欲望に駆られて、同じ欠陥におちいることが多いではないか。しかも、指導者たちの欲望ときたら、民衆のそれよりもずっと大きいときている。


誰だって、誤りを犯したいと望んで、誤りを犯すわけではない。
ただ、晴天の日に、翌日は雨が降るとは考えないだけである。


天国へ行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである。

| 考える葦 | 10:11 | comments(0) | - | - | - |

素人の般若心経

母が、「般若心経を覚えるといいよ」と言ってきました。

般若心経とは、大乗仏教の経典の一つで、宗派を問わず永く唱えられてきている、ありがたいお経・・・との事。あの西遊記の三蔵法師のモデルとなった玄奘さんも、訳著をされたという。

これから子育てをしていく私に、何らかの教示をしたいと思ったのでしょうか。
母は、特に仏心厚いという訳ではないのですが、現在の私と同年代だった頃に非常に辛い事があり、その時に般若心経を唱えることが心の支えになったという過去があるそうで。
私のダンナ実家は神道だし、お経を覚える必要はないんだけどな〜と思いつつも、まぁ親孝行の一つだと、いっちょ暗記してみることにしました。
多くの宗派で用いられているそうなので、いつか何処かで役に立つかもしれないしぃ?(一体どこで役に立つんだか・・・)

とは言え、意味も分からず、“音読み”のみで暗記が出来る程、私の脳みそは若くはないです。そこで、意味を読み解きつつ暗記に挑戦すること数日。淀みなくスラスラと唱える事は出来ませんが、まぁ何となく暗記出来たカンジで(笑)

そして、意味を読み解いていくと、やっぱりその内容に思考が及んでいきます。私も母と同じく、特定の宗教に信心厚い訳ではないので、仏様の有難い教え・・・という捉え方というより、何故このお経が、長い歴史の中で多くの人に唱えられてきたのかという点に興味を惹かれて考えてみました。

無神論の人でも、日本人なら誰もが聞いたことはあるであろう、『色即是空(しきそくぜくう)空即是色(くうそくぜしき)』を説く部分が、般若心経の主文の一つです。
“色”即ち人間の肉体は所詮“空”であると。“受”感情“想”思考“行”行動“識”経験も、また然り。
この“空”の解釈は、素人が説明するのは極めて困難ですが、『なにも無い』という事らしいです。しかし、なにも無いと言っても、単純に“無”とは違う。数学でいう『ゼロの概念』に近いかな? (ゼロの概念も、確立されたのはインドと言われていますね)

この『色即是空』という考え方は、私も共感する部分が大きいです。“色”は兎も角、“受”感情というものは、結局存在しないもの。例えば、「嬉しい」という気持ち一つをとっても、そこには「爆発するような激しい喜び」から「ほこほこと沸き出でる穏やかな喜び」まで幅がある訳で、ここで挙げたその二つの「喜び」に、もしもそれぞれ別の名を冠したら、それは全く別個のモノになる訳で。結局「嬉しい」という言葉で表現されている感情は、「嬉しい」という言葉で囲われた実態の無いモノという事になる。でもそれは「なにも無い」というのではなく、確かにそこには、なにかが存在している。
・ ・・・・・・・的なことは、般若心経に触れる以前から、そこはかとなく考えたりもしていました。

それはいい、色即是空はいいんです、納得。

でも、分からないのは、下記の部分。
無智亦無得 以無所得 (むちやくむとく いむしょとく)
いろいろな宗派がどう説いているかは置いておいて、素人のワタクシが素直に意味をとってみると・・・人間は所詮、仏様の知恵に到達することなど出来ず、悟りを開くことなど不可能なのだから、いくら思考しても無駄である。っと、言っちゃってるんですね。
んで、以下、「考えても無駄なんだから、とにかく、仏様が下さったありがたい呪文を、無心で唱えなさい。そうしたら、いいことあるよ☆」っと続くのです。
え〜〜〜?!それでいいの?
試験勉強もせずに合格祈願のオマジナイばかりしている受験生みたいじゃん。アプローチ一切せずに恋のオマジナイばかりに凝り固まってる乙女みたいじゃん?!

っと、般若心経の核の部分になるであろうこの箇所に、どうにも納得出来ないワタクシです。
しかし、「人間の知恵は、仏の知恵の前では、ゴミに等しいので、脳みそ使わずに、ただ呪を唱えなさい」という教えが、歴史上そして現在も、多くの人の心を捉えているからには、その裏には何かがあるに違いない。

そこで、WEBやら、本やらで、般若心経解釈を、パラ見してみました。
あるわあるわ、様々な解釈が。だから、同じ経典を用いながらも多岐に分かれた宗派が存在するのですね。
あんまり深いとこまで読んでいくと、何だか別の世界の人になってしまいそうなので、今のところはパラ見ですが、要するに、仏心厚くない私としては、自分に心地よい解釈をして唱えていれば、OKってことですね!!(そうか?)

小説家で「大河の一滴」の作者である五木寛之氏が、著作された般若心経解釈本の中で、こう綴っておられました。本当にありがたいお経というのは、聞くだに、胸にキュンキュンくるんだと。尾てい骨にガツンと響くのだと。
棒読みで「かんじーざいぼーさつ ぎょうしんはんにゃーはーらーみったーじ」と空虚に唱えていても、ぜんぜん胸キュンしないんだと。
成る程・・・般若心経に胸キュン出来る日が、私に訪れるとは、今は思えないのですが、何だか興味が湧いてきたので、もう少し深い部分まで付き合ってみようかなぁと、そう考える今日この頃です。仏心というより探究心!!(笑)
| 考える葦 | 15:31 | comments(2) | - | - | - |

ひたひたと迫る恐怖

非正規労働者切りをする企業のニュースが、日々報じられていますね。
ベィビィが二、三歳になったら、また社会人復帰したいと希望している私ですが(つーか、働かないと生活立ち行かないダロウ)、年齢的にもキャリア的にも、正社員で再就職するのはまず無理だろうと、覚悟しております。
でも「派遣や契約社員の口なら、それなり有るんじゃないの〜?」と楽観していたのですが、今の実情をニュースで見て暗澹たる思いになりました。

若かりし日の私が社会人になったばかりの頃。それはバブル景気末期で、就職前線もギリギリ売手市場でした。
自分なりの夢があるだとか特別の事情があるだとかいう人以外は、正社員で就職するのが当たり前の世の中。私も、正社員での就職に、何の疑問も有り難みも感じておりませんでした。
それが、バブル景気崩壊後、そして、派遣法が改正された1999年以降。取引先を見回せば、派遣社員や契約社員が正社員より多いという企業が、どんどん増えていきました。

私の記憶が確かならば、自分のプライベート時間を確保出来て、会社との係わりも少なくて済む“派遣社員”という働き方を選択する事が、ある意味『カッコイイよね!』という空気が、派遣業が増えてきた当時の風潮としてあったと思います。
残業したくない。社員旅行とか飲み会とか面倒くさい。派遣だと、正社員での就職は無理な上場企業にも入り込めて、エリート男を掴むチャンスが広がる♪ 派遣を選択するのも賢いオンナの生き方よ☆ …的なプロパガンダが盛んだった時期もあり、私も真剣に転職を考えたりしたモンです。
そのプロパガンダの影響でしょうか、派遣社員や契約社員という雇用形態は、比較的若い女性が、自ら選択して就いているというイメージが、長らく私の中にありました。

そうではなく、大卒の新社会人(男女共に)から一家の大黒柱たる壮年男性に至る、幅広い層に於いて、派遣(or契約)社員という雇用形態を選択せざるを得ない実情になっているのだと、私が気付いたのは近年になってから。一体いつの間に、こんなにも、“非正規”といわれる雇用形態が蔓延していたのでしょう。

これは、批判をする意図も、問題提起する意図もありません。
『労働者にとって、時間の自由がきき会社に縛られ過ぎないというメリットがある』という“旨味”が消え失せ、人件費調節という企業側のメリットだけが大きく残った、現在の非正規雇用の現実に、ただただ驚いてしまった…ということを言いたいだけです。


それにしても、ニュースに出てくるように、『解雇された途端に、住む場所も、明日暮らす金も無くなった』という人は、本当に沢山いるのでしょうか…?
私がニュースを見て短絡的に考えたのは、「非正規という不安定な雇用条件で就業しているのなら、仮に無収入でも最低一年位は生活出来るくらいに、貯金をしておくべきでは?無計画に浪費した本人が悪い面もあるだろう」という事でした。(私自身、妊娠を理由に派遣契約を切られた経験があり、それを踏まえた意見です)
しかし、もしも、『身の丈にあった生活と、ささやかな贅沢…ごく平均的な暮らしを営んでいるにも関わらず、貯金する余裕がない』という労働者が、少なくない割合でいるのだとしたら…。
日本の先行きに対する不安が、一気に膨らみました…。

私は過去このブログで、『人並以上の努力をしてきた人が、平均より豊かな暮らしをするのは当たり前だし、人生怠けてきた人が平均以外の暮らしになるのも、資本主義社会に於いてはやむを得ない』という見解を綴ってきました。
しかしこれは、実のトコロ、自分の“努力”も“暮らしレベル”も、平均値を確保していると自認していたから。
が、『平均的暮らし』という層が激減し、『富裕層』と『貧困層』に二極化する時代に、もう足を踏み入れているのかと、改めて認識し、背筋が泡立ちました。
| 考える葦 | 22:26 | comments(0) | - | - | - |

フワっと…

フィギュアスケートGPファイナルについての記事をUPした後に、Sぃさんの日記を拝見して、自分の素人くさい記事が恥ずかしくなった(苦笑)
真央ちゃんの勝因とキム・ヨナさんの敗因を、鋭く丁寧に解説されてて、「成る程〜」と得心しました。


私は、凝り性でオタク体質の割に、肝心な部分はフワっと流していたりする性分のようで、それが何事に於いても中途半端に終わる原因なんだなぁと、改めて実感。

先日、ダンナとNHKの大河ドラマを観ながら、「小松帯刀って、このドラマで初めて知った人物だったわ〜。幕末の薩摩に、こんな人が居たんだね〜」と言ったら、「初めて知ったっておまえ…あんなに一生懸命読んでる本(『龍馬がゆく』)にも登場しとるじゃろ」と、呆れられました。

いやホント、カバーがボロけるくらいに何度も読んでいるのに、小松帯刀サンの事は全く記憶にありませんでした。慌てて読み返してみて、「あ、あ〜、そうそう。居た居たこんな人」ってなモンで。
(まぁ大河ドラマは、相当脚色されてるみたいですが)
ダンナに言わせると、当作品に出てきているハズなのに、私が“知らない”と言う人物は、他にもいるそうで…。どんだけフワっとした読み方してるんだと、冷笑されました。ぐぅぅ。
言われてみれば、読んでいる最中に、既出らしいけど覚えのない人物が出てきても、前後の文脈から「きっとどこそこで会った人だろう」とか「多分、前に敵対した人ね」とか、テキトーに推量して、読み進めてしまうんですよね。
ダンナに言わせると、「シンジラレナーイ」読み方だそうで。ダンナは疑問に思う箇所があれば、前に戻って読み返し、納得してから読み進めるそうです。それが普通か?

私も、意識して読み返せば、「おぉ!そうだそうだ」と思い出せるんだけど、イキナリ“どこそこの某”と言われても頭の回路が繋がらないんですよ。
これで、“カバーがボロけるくらいに読んでる”んだから、我ながら情けなくなりますたー…。

他にも、愛読しているハズの本の内容を、第三者には説明出来ない事が多々あり、「私は一体、どんだけフワっとした読書をしているのか」と、知識とキョーヨーが我が身についてないっぷりに哀しくなります。
この、会得したツモリで全然身についていない、“フワっと修得”癖を、何とかしたいですわ。


…ワンピースに関しては、「そのエピソードは、●巻!」とか、「その設定はどこそこで誰それが説明してた!」なんて、かなりマニアな部分まで即座に分かるのにね…(自嘲)
| 考える葦 | 22:46 | comments(0) | - | - | - |

アラウンド・フォ〜ティ〜♪

話題にするのが少々遅きに失した感がありますが・・・。
今年の流行語大賞の年間大賞に『アラフォー』と『グー』が選ばれたそうですね。(って、ホントちょっと遅いよね、ブログのネタにするのが)

『グー』はともかく、『アラフォー』という言葉が、巷でどの程度使われたのかは微妙なトコロですが、「女!40歳!!まだまだ女盛り!」という認識が、世間的にそれなりに認められたのだとしたら、アラフォー世代に足を踏み入れたワタクシとしても嬉しい限り。
高齢出産・高齢子育て中で、ふと気を抜くと女を忘れそうになる今日この頃ですが、仕事に家庭に趣味に育児に、それぞれの道で美しく活躍している同世代女性の、活力溢れる姿には励まされます。

結婚・出産・仕事・・・etc、歳を重ねて『オバサン』になろうと、古い価値観に束縛されず、自分の生きたい道を自由に選ぶ女性達。そんな女性の強ささえも、“女らしさ”として社会的に認められてきているのか〜〜、イヤーたのもしーね〜〜。
・・・・・でもさ、ちょっと待ってよ、確か、今を遡る10年程昔・・・。トランタン(30ams)とかっていう言葉が無かった? 『仕事も!!恋も!!女の盛りは三十代から!!』みたいな触れ込み背負ってさ。
その頃、二十代のコムスメには負けないわ的鼻息の荒さで、時代を闊歩した30女性達は、きっと多分恐らく今現在はアラウンドフォーティになっているハズ。
するって〜とさ、今『アラフォー』という錦の御旗を押し立てて、“恋に仕事に輝くオンナ!!”を謳歌している人々って、かつて『トランタン』と謳われた、あの人達と同一なんじゃん?
つまり、もしかしてもしかしたら、十年後には、今度は、『オンナが花開くのは50歳から!!』みたいなサブカルチャーが、社会の前面に出てきたりするんじゃん?

娘盛りにバブル期を経験した世代の強さよ。常に自分らのサブカルチャーが社会の中心となるように狙うパワーがあるのかもしれませんね。

ただ、忘れないようにしたいのは、『アラフォー世代』本人達が声高に叫ぶ、「40歳女性はまだまだ花盛りv」という認識に、他世代も心底同意しているかどうかは、微妙なんじゃないかという点。
かく言う私、恥ずかしながら、30歳を過ぎた頃“ニキータ”という、やたら鼻息荒い雑誌を愛読していた事がありまして・・・(短い期間ではありましたが) その雑誌、今でもあるのかな? 合言葉は『20代のコムスメなんかに負けない!!』『30代オンナの色気に、20代コムスメが適うハズがない!!』みたいな・・・(恥ずかしい///)
間もなくその痛々しさに我に返り、購読するのを止めましたが、渦の中に呑まれている時は、「ふふふ、20歳そこそこのコムスメなんか、まだ女じゃないわよ、どうよ」くらいのイキオイでした・・・ははは(↓)
どうこうあがいても、20歳女性の輝かしさには太刀打ち出来ないものがあります。同じ土俵で戦っちゃダメってこと。じゃないとホント、痛いオバサンになります。

もしかすると、10年後には、『50歳の女も、まだまだ輝ける!』という気運が満ちる時が来るかもしれませんが、かと言って若い女性と同じ輝きは持てない事を、しかと肝に銘じておきたい。過去の自分の痛々しさを思い返すに、そう思うワタクシでした。
| 考える葦 | 17:13 | comments(0) | - | - | - |

ねんきん特別便が届いた

午前中、国会中継を家事のBGM代わりにすることが、時々あります。
興味があるというより、何かしら人の話し声がしていた方が、ベィビィが落ち着いて寝てくれるので、ホントBGMのつもりで。

事故米問題で追求される石波さんにしても、年金記録問題の解決を迫られる桝添さんにしても、尻拭いの損な役を任された訳ですが、「オレがやったんじゃねーもん!!」と不貞腐れる事なく、理路整然と状況説明及び解決策の提案をしていると感じます。
まぁ、省の代表となったからには過去の全責任も担わなくてはならない訳で、そもそも『不貞腐れる』っていうのが有り得ないのですが(その有り得ない事をやっちゃった人も居るもんね・苦笑)

上記二つの事件については、私も大いに憤りを感じました。長年政権を担ってきた党の責任として、根本的な部分から改革を行い、現状の混乱を解決し、再発防止に勤めるように、誠心誠意で取り組んで頂きたい。

しかし、この問題を徹底追求するべき野党の質疑内容の幼稚さには、何だかなぁと幻滅します。
「あなたは、こう言ったじゃないか」だの、「どう責任を取るつもりなのか」だのと、ゴシップ情報ニュースのコメンテーター並みの、揚げ足取りにしか聞こえない。次期政権奪取を狙う野党として、与党を政敵として追及するのなら、「問題に対して早急に解決案を提示せねば、政権を奪われる」と危機感を感じるような、独創性のある鋭利な質疑をしてもらいたいものです。対立軸路線だかなんだか知りませんが、与党のやること一つ一つに、"とりあえずケチを付けてみる”的なやり方を見せられても、「この党に政権を任せてみよう」という気持ちになれない。

私は、ある一つの政党が長年政権を持ち続けるという事に対して、ある種の嫌悪感を覚えます。確固とした理由を上げられる訳ではなく、「何となく気持ち悪い」という類の、感覚的なものなので、声高に主張するのは何なのですが。でも、出来ることならば、この辺りで自民党には降板して頂き、政治を根本から再構成してもらいたいと思ってしまいます。

しかし、野党第一党である民主党の不甲斐なさを見るに、「結局は自民党にやってもらうしかないのかなぁ」という気持ちに傾いてしまいます。


ところで。
件の、ねんきん記録。
私の手元にも、ねんきん記録特別便が届きました。
見事に記録が抜け落ちておりましたよ!
20代前半で、転職を経験した私。実はその転職の間に約一年間、恥かしながら無職の時代がありました。一年間、ちょいと夢を追いかけていたと申しましょうか・・・。
しかし、職無しの間も、ちゃんと国民年金は払い続けておりましたよ、勿論。寂しい懐から何とか工面して納めていたというのに、その記録が抜け落ちているとは!!怒!!
払い込み時の領収書を、キチンと保管していて良かった!!こんなこともあろうかと!!(有っちゃイカンだろうが)
そう、年金に関する書類等は、漏らさず保管していたワタクシ。結婚やら何やらで引越しを繰り返す度に、「コレ、もう要らないかなぁ」という思いが過ぎりつつも、ちゃんと保持しておりましたよ。よかった。
つまり、その当時から、「なんか役場の対応がアヤフヤなんだけど・・・。こんなんでちゃんと記録されているんだろうか」という、一抹の不安を感じていたからなんですが。

それにしても、お年を召した方などは、記憶が曖昧になっている部分もあるでしょうし、もし記憶が鮮明でも、それを証明するものが無ければ、手続きが困難になるのでしょうね。
自分の身は、自分で守らねばならない時代なのでしょうか。


話は全然違いますが、来年から株券が電子化されますよね。例えば株の所有者が横死した場合、株券所持について家族にも誰にもナイショにしていたとしたら、そのお金は証券会社にこっそり入ってしまうのでしょうか?
今までは、遺族の人が「おじいちゃん、こんな株券持ってたよ」と発見していたでしょうけど。
| 考える葦 | 12:48 | comments(0) | - | - | - |

“米の価格”って何なんだろう

ニュースを聞く度に「どこまで被害が拡大するのか」と重いため息が出る、事故米関連の事件。
食品の最終消費者としての立場からの不安は基より、火の粉を被った関係業者の被害を想像しても、憤りは抑えられません。

三笠フーズがどう断罪されるのか、注意深く見守りたいです。が、今回は事故米ニュースそのものというより、それに端を発した疑問があるので、それについて。

三笠フーズから最終ユーザーに米が辿り着くまでに、なんと多くの業者が間に入っていることか。今回の事件のニュースで初めて知りましたが、3社も4社も間に入った上で、やっとこさ最終的に米を使用する場所(学校・病院・製菓の現場、等など)に辿り着くんですね。。
事故米事件については、それらの業者は“被害者”である事は認識した上で言いますが、何故こんなに多くの業者が間に入らねばならないのか、流通過程に疑問を感じます。
ただ、米を右から左に流すだけで利を得る会社が、3つも4つも間に入る・・・。
丹精込めて稲を育てて収穫している農家の方々の利益って、一体何なんでしょう。稲作現場の方が得る利益の何倍もの益が、流通過程で生じているのではないでしょうか。

米というのは政府が買い上げて、市場価格を調整しているハズですよね? つまり最終的な売値から逆算して、農家の方たちの利益が発生しているのではないのでしょうか?(知識が浅くてお恥ずかしいですが、この程度の認識しかない私)
もしそうだとすると、仲介業者が得る利益には、ある程度、限界値があると思うんですが。3社も4社も間に入れば、それだけ一社が得る利が薄くなる訳で、それならばなるべく流通を一本化しようと考えるのが自然じゃないのでしょうか?

この、“流通過程で、何社もの仲介業者が間に入る”というのが、健全な状態なのかどうなのか、私には分かりません。
知識が無いくせに仮定の話をして申し訳ないのですが、もしもですよ。もしも、今回のように、『右から左に米を流す』だけで利を得る会社が、何社も連なるような状態が、普通の形ではないのだとしたら・・・。それだけ安い米が“食用”として流れてきた事に、それらの企業は何の疑問も抱かなかったのでしょうか?

と、一介の主婦から見た世の中のしくみには、疑問点が一杯です。
| 考える葦 | 16:06 | comments(0) | - | - | - |

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